歴史
水泳部について
現在慶應義塾体育会水泳部には競泳部門、飛込部門、
水球部門、葉山部門の4部門が存在しますが、水泳部発足当時の活動を色濃く受け継いでいるのは
葉山部門です。
発足
慶應義塾体育会水泳部の起源は、明治20年(1887)に同好の士が
集まって作られた水泳倶楽部です。当時から慶應義塾は三田の山にあり、
シーズン以外ではなかなか泳ぐ機会に恵まれなかったといいます。
葉山合宿
1902年に、神奈川県の葉山にて今で言う合宿にあたる
第1回練習会が行われ、成功しました。館山で合宿を行うようになるまで
葉山での合宿が行われていたことから、現在の部門名がつけられました。
この合宿が大きな成果を挙げたため、この年の8月に
水泳倶楽部は体育会水泳部として体育会に加盟しました。
遠泳
第1回練習会において、葉山―逗子間3マイルの遠泳が行われました。
そして、第2回練習会においては、葉山―江ノ島間10マイルの遠泳が計画されました。
潮流の強いことなどもあって成功は危ぶまれていましたが、泳者22名中5名が7時間20分で完泳し、
当時の水泳会で大きな話題となり、時事新報でも1ページを費やして報道されました。
以降、この葉山―江ノ島間遠泳は葉山合宿における遠泳の基本となり、
合宿が館山に移った後も塩見―大房岬/南無谷/岩井間の遠泳として受け継がれていきました。
そして、2002年には水泳部100周年の記念行事として水泳部四部門の高校生からOBまでが集まり
葉山―江ノ島間の泳者100名以上にもなる大遠泳が行われた。
水泳部の発展
当時の日本での水泳は日本泳法が主流でした。
現代の水泳競技の基礎となる部分、具体的にはクロール泳法、水球、飛込競技は
いずれも明治末期から大正の時代に日本に伝えられました。
特に水球と飛込に関しては、日本での正式な競技の開始に先立ち塾水泳部が
外国人クラブで見たものを真似て合宿に取り入れていました。
また、葉山合宿では昭和初期までヨット活動も続けられていました。
これは体育会ヨット部のルーツで、近年まで館山合宿所に当時のヨットの部品が飾られていました。
義塾と水泳
福澤先生は、慶應義塾の庭に運動場を設け、塾生の運動を奨励していました。
これは、欧州の学校が生徒に勉強させるだけではなく運動もさせていたことから
学校での運動が重要であると気がついたため取り入れられました。
そして、福澤先生自身は泳げなかったものの、水泳を各地に伝統的に伝わる武術として、
剣術、柔術といった他の武術と共に塾生に勧めていました。
そして、小泉信三先生は「塾員皆泳」を掲げ、当時は水泳が義塾卒業の必修科目となっていました。
これらのことからも、水泳は義塾と決して小さくないつながりがあることがわかると思います。